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金沢へ旅したニート

レモン

 神様的なものに呼ばれた気がした。

 旅行へ行く時は、たいてい脳内で風景をイメージする。上手くイメージできれば旅行は良いものになりやすい。その土地の神様の了承を得るような感覚。

 今回浮かんだイメージは、青空に輝く太陽に照らされた広い海だった。 

 一日目。新快速と北陸新幹線を乗り継いで金沢駅に着いたのは正午だった。乗り継ぎの間に買ったお寿司を食べたのでお腹は空いていない。

 まずは予約していたホテルへ行き荷物を預かってもらった。折りたたみ式のエコバックに貴重品や最低限の荷物を入れて、散策を始めた。

 数時間電車に乗って疲れた体を癒しに銭湯へ。駅の近くに幾つか候補があって助かった。

 銭湯はあまり広くなかったものの、風呂の種類が三つあった。晴れていたので外風呂も味わった。平日のせいか客が少なく、ほぼ貸切のようで楽しかった。湯に浸かって太陽の光を浴びながら今後の予定を考える。バスに乗ってひがし茶屋街へ行くことにした。

 ひがし茶屋町は江戸時代の街並みが残されている。かつてとても栄えたらしく、建物を丸ごと展示物にしているところもあった。

 和菓子と抹茶を頂いた。和菓子は餡子に水色や紫色の寒天をブロック状に砕いたものをまぶして紫陽花を表現していた。当時の人は梅雨が明けた頃の季節をこうやって感じていたのかもしれない、と思いを馳せた。

 丸ごと展示物になっている建物へ行った。時間はたっぷりある。部屋に幾つか置かれているパネルの文章を丁寧に読み漁った。特に印象に残ったのは、楽器の演奏や詩歌などの文化交流が盛んに行われていたという記述。一見さんお断りで、客にも深い理解が求められたらしい。つまり客側も楽器や詩歌を嗜んでいる必要があるという。お金を払えば誰でも歓迎という場所ではない格式を感じた。

 一日目は特に不思議な時間だった。平日というのもあるだろうが、お店の方が積極的に話しかけてくれた。夕方に甘味処でゼリーを食べた時は、身の上話をする流れになった。金沢に初めて来たこと、伝統ある美しい街並みだと感じたことなどを話した。

 夕食は市場へ行って海鮮丼を食べた。店の壁に画面の大きいテレビが設置されており、店主がTV番組のインタビューを受けた時の映像が流れていた。話好きなようで、能登地震後の復旧が続いていること、阪神淡路地震の時にボランティアをしていたことなどを話してくれた。

 一人旅の醍醐味は地元の人との会話を楽しむことと聞いたことはあるが、実際に体験できたのは初めてだった。金沢の土地が歓迎してくれているみたいで嬉しかった。

 二日目以降も飲食店やお土産屋へ行ったが、話が盛り上がったりすることはなかった。一日目の展開が特別だったことに気づいた。

 二日目。朝から市場へ向かい、ノドグロ入りの海鮮丼と地酒飲み比べセットを頂いてから二十一世紀美術館と兼六園へ行った。

 美術館で一番見たかったのは「スイミング・プール」。プールを模した巨大なオブジェで、中に入って写真を撮れる。事前にネットで予約し、時間ギリギリで間に合った。時間に余裕を持って最寄りのバス停を降りたが、道中をのんびり歩いたり珍しい三ツ矢サイダー復刻版オレンジ味を飲んでいたら遅くなってしまった。

 プールのオブジェは本当に水の中にいるみたいに綺麗だった。晴れていたので太陽の光がよく映え、水面を表現した部分を通して水の中を上手く表現していた。最初に水底側、後から上側へ行ったが、どちらも反対側にいる人々が手を振り合っていた。

 他にも作品一覧を見て気になっていたピンク水晶の作品がトイレに展示されていたり、これまた巨大な人間の顔のオブジェに奇妙なバランスで板がはめ込んであったり、面白い作品がたくさんあった。透明なエレベーターがあり、エレベーターが動くたびに鉄の塊のようなものが伸び縮みする様が面白かった。

 歩いて疲れが溜まってきた足を休ませ、兼六園へ。辺り一面整った木々があり、広い池に噴水や灯籠があった。見どころはいっぱいあったのに、印象に残ったのは鴨が優雅に泳いでいたのと、キツツキを見たことだった。

 売店で団子を買って食べた。二本セットで食べ切れそうだったが、一本目を食べ切ったところでお腹いっぱいになって困っていると、金箔入りの昆布茶をサービスしてくれた店員さんが持って帰るための容器を用意してくれた。

 一日目、二日目の夕方から夜にかけて、ホテルの中の温泉に何度も入った。半分外風呂になっていて風が気持ちよかった。よもぎ蒸しのミストサウナが併設されていて、何度も堪能した。お風呂の設備を第一に考えてホテル選びをした甲斐があった。

 三日目。朝食に先日スーパーで買った揚げ出し豆腐を食べてホテルを出た。ずっと行きたかった石川県立図書館へ。建て替えられたのが最近らしく、見た目も内装もすごく綺麗だった。中心から弧を描くように本棚が配置されていて、ファンタジーに出てくる図書館のように思えた。外側に勉強や作業のしやすい机と椅子がたくさん並んでいて、利用者も多かった。

 珍しいものに触れたくて外国語を翻訳した小説を二十分ほど読んだ。

 もう心残りはないか考えを巡らせる。そうだ、まだ海へ行ってない。

 グーグルマップで調べると、金沢駅からIRいしかわ鉄道に乗って海岸近くの駅に行けそうだった。

 バスで金沢駅へ戻って、IRいしかわ鉄道乗り場へ。ちょうど乗客が降りてくるタイミングだった。駅員が改札に立って切符を回収する。手動だった。それまではICカードで改札を通ってきたから驚いた。途端に田舎へ遊びに来た小学生みたいな気分になった。

 七月だから夏らしく気温が高い。電車内は冷房が効いているが、各駅に停車してドアが開くたびに蝉の鳴き声と共に熱気が来る。青空と真っ白な雲の対比が綺麗で夏休みの風景だと思った。

 終点の駅の直前、電車は細い橋の上を通った。窓から外を見ると、すぐ下まで水面があった。水の上を走っているようだった。

 終点の駅に着いた。目的の海岸までは徒歩で行くしかない。あまり遠くなさそうなのが救いだった。

 またグーグルマップを頼りに海岸を目指す。駅周辺は民家が建ち並んでいたが、しばらく進むと海が見えてきた。見えたというのになかなか到達しない。虹でも追いかけてる気分になりながら早足で歩いた。

 海に着いた。コンクリートで舗装された道の先に砂浜が広がっている。その先に広い海と水平線が見えた。水際までまた歩く。砂浜の砂がサラサラしていて、履いていた長靴では進みづらかった。

 砂浜と海の境目に来た時、旅行前にイメージした景色はこれだ、と気付いた。

 しばらく深い青色に染まった海の波が立てる自然の音に耳をすませた。

 周りには五人ほど人がいて、サーフィンなどを楽しんでいた。車が幾つか近くに停めてあったので、車で来るのが主流らしい。

 どうしても海の水に触れたくなって、水際ギリギリまで近付く。ざーん、ざーんと打っている波が、到達点を変えながら陸地に到達していた。大きい波が来て、足元を飲み込んだ。海水と共に砂が流れ込み、長靴の中が砂まみれになった。

 急いで砂浜に避難した。靴下を脱いだ。砂がジャリジャリして痛む状態で、来た道を引き返した。

 あまり人を見かけなかったので、晴れた気候で乾くかと考え、水を絞った靴下を振り回しながら駅を目指した。駅に着く頃には少しだけ乾いた。電車を待つ間にウエットティッシュで足を拭きながら、後悔はないけど大変だったと思った。

 IRいしかわ鉄道で金沢駅へ戻り、ロッカーへ預けていた荷物を回収して新幹線に乗った。敦賀駅で数少ない新快速を待つ間に確かめると、足に湿疹が出ていた。最後の最後に妙なお土産を貰ってきてしまった。痛かったが、生まれて初めて日本海に触れた証拠でもあるのであまり嫌ではない。

 不思議な感覚のする旅だった。旅行中はずっと良い天気で、思い描いていたことが大体達成できたからだ。清々しい気持ちが残って、また来たいな、と思った。