箱庭の管理人
下宿人
仕事に疲れている。
仕事のやりかたを効率化しろと言われる日々。急かされるのが嫌だ。しかも効率化したとて、できた隙間にさらなる仕事を押し込まれるだけだ。上から降ってくる仕事でそのうち圧死するのではないかと考える。
先日は五人くらいから急ぎの仕事を振られた。期限に間に合わせるのは到底無理である。深く考えるまでもなくわかった。乾いた笑いが出た。
全部投げ出してどこか遠くにいきたい。いや、遠くなくてもいい。他人に小突かれない、静謐な生活を送りたい。
仕事に疲れているときによく思い出すのは、学生時代の夏休みを過ごした屋敷だ。苔が美しい庭があった。大学で私の指導教官だったH先生が住んでいた屋敷だ。一時期、H先生に頼まれてこの屋敷の管理の仕事をしていた。特別なことは何も起こらない、あの淡々とした生活をまたしたいと思う。
H先生と出会ったのは大学の二年生のときである。
大学に入ったものの、勉学に身が入らないまま私は二年生の秋を迎えていた。通っていた大学では三年次から研究室に所属しなければならなかった。人気がある研究室に入るためには面接に加え、試験があったり、課題を提出する必要があった。どこでもいいやと投げやりになっていた私は、面接だけで済む研究室を探した。人気のなさそうな研究室であることも重要だった。希望者が多かったら、私のような者はまず落とされるだろう。何回も面接を受けるような事態は避けたかった。
同学年の学生たちの雑談などを聞いていると、H先生の研究室が人気がなさそうであることが分かった。H先生の担当している講義は単位を落とす者が絶えないからであるらしい。H先生の研究内容を確認したが、おそらく普通に就職するにはあまり役に立たなさそうな分野であることも影響しているだろう。私はH先生の研究室に応募することにした。
私の苦手な高圧的な人だったら嫌だなあと思っていたが、H先生は静かで穏やかな方だった。体格が良く、眼鏡越しに見える眼つきは眠そうであった。どことなくムーミンを彷彿とさせる人であった。
面接では、どんな研究がしたいかなどを尋ねられることもなく、H先生からゼミの進め方などを大まかに説明があったのみだった。付け焼刃の志望理由を用意していた私は拍子抜けした。
私以外の希望者はいなかったようで、H先生の研究室に入ることがあっさり決まった。
H先生の家に初めて行ったのは、三年生になった年の五月の連休前だ。その頃、私はやっと研究内容が決まっていた。 「読んでおいた方がいい本がある。貸すから家まで取りに来てくれ」とH先生に言われ、日曜日にH先生の家を訪ねることになった。
小田急線の各駅停車しか停まらない駅を降り、線路沿いに歩いていく。道なりにすすんでいくと小さな橋があった。昨日までしばらく雨が続いていたので川は勢いよく流れていた。大きな白い鳥が魚を狙っていた。橋を渡ると、今度は長いトンネルがあった。歩道の脇の側溝には沁みだした水がちょろちょろと流れていた。
トンネルを抜けると長い坂道が現れた。トンネルを潜る前と違った匂いを感じた。坂道を歩いていて少し経ってから、生活の匂いがしないからだと気づいた。
トンネルを抜ける前までスーパーや飲食店があったが、トンネルを抜けた先では生活に必要なものを買えるような店がまったくないのである。小さな画廊や何を作っているかよくわからない工房はあったが、そのほかは大きな住宅ばかりである。
五月とはいえその日の日差しは強かった。だらだら続く坂を登り続け、うっすらと汗ばんできたあたりでやっとH先生の家に着いた。
想像していた家と違った。失礼ながら、薄汚れたアパートに住んでいると勝手に想像していたのだが、H先生の家は立派な日本屋敷だった。建築様式はよくわからないが、かなり古い建物であることはわかった。飴色で美しい木製の表札にはH先生の苗字が書いてあった。
門の周辺にインターホンが見あたらなかったので、門をくぐり、玄関に向かった。白い砂利をスニーカーで踏みしめて進む。玄関にもインターホンがなかった。玄関の引き戸は開けっ放しだった。私はしかたなく「すみませーん」と声をかけた。おそるおそる出した声は存外大きく響いた。暫くするとH先生が出てきた。大学にいるときよりも一層眠そうな顔をしていた。
H先生は一人暮らしのようで、屋敷の中には人の気配が感じられなかった。この屋敷はH先生の祖父が作らせたとのことで、今はH先生が一人で住んでいるとのことだった。H先生がここに住み始めたのは、H先生の父が亡くなり、屋敷を管理する人間がいなくなった最近のことだという。
屋敷のだだっぴろい客間からは、よく手入れがされているであろう庭が見えた。大きな松も立派であったが、なにより目を引いたのは庭の中央部分に繁茂している苔だった。生命力を強く感じる緑の苔が一面に生えていて、苔の生えている地面を囲むように飛び石が置かれていた。
書斎に通され、目的の本をH先生から受け取った。日本語の本であるとばかり思っていたのだが、渡されたのは原書であった。次のゼミまでに付箋が貼ってあるところまで訳してくるようにと言われた。H先生の指導はなかなか厳しかった。
「茶でも飲んでいくか」
「いただきます」
「ちょっと待っていろ」と言って、H先生は書斎を出ていった。
書斎は壁面はほぼすべて本棚になっていた。専門書が多かったが、写真集や全集、普通の小説などもあり、ここにいれば退屈はしなさそうであった。本棚がないスペースの壁には肖像写真が飾ってあった。この屋敷を建てさせたというH先生の祖父だろうか。禿頭で鋭い目つきをしており、口髭を蓄えていた。高い鷲鼻は外国人を彷彿とさせた。あまりH先生には似ていないようだ。
しばらくしてH先生が戻ってきてペットボトルの緑茶を差し出した。五月にしては暑い日差しのなかを歩いてきたので、冷えた緑茶はとても美味しく感じた。
私の研究の進め方についてH先生と少し話をして、さて帰ろうかと思っていると、H先生から「夏休みにバイトをしないか」と言われた。大学が夏休みの間、住み込みで屋敷の掃除などをしてほしいということだった。
H先生は大学が長期休暇に入ると海外で過ごしているとのことで、不在の間の管理をしてくれる人を探しているとのことだった。
「別にたいしたことはしてくれなくていい。掃除や荷物の受け取りをしてくれるくらいでいい。書斎の本は自由に読んでもらって構わない」
「たいして知らない私なんかに、こんな立派な屋敷の管理を頼んいいんですか」
「君は人の家でどんちゃん騒ぎしたりするようなタイプじゃないだろうし」
「庭の苔の手入れなんてできないですよ」
「苔は庭師が来てくれるから心配ない。君は庭師が来たら玄関を開けてくれればいい」
給料はそんなに高くなかったが、どうせ夏休みの予定など特になかったし、のんびりできそうで悪くないと思った。私はその場で引き受けることを決めた。前期末の試験が終了する次の日から働くことになった。
日に日に蒸し暑くなっていく七月。大学の同級生の間では、夏休みのインターンシップの話題ばかりだった。数年前まで受験勉強していたのにもう就職の準備をしなければならないのか。終わらない他人との競争にうんざりしていた。
前期の試験期間が終わった。明日から夏季休暇期間に入る。講義には出席していたので単位取得ができそうなくらいの成績はとれそうではあったが、良い成績は期待できないだろう。
お腹が空いたので、学食で一番安いチキンソテー定食を食べた。チキンソテーのたれは日替わりで変わるのだが、その日は山賊ソースだった。山賊ソースとはなんなのだろうか。よくわからないが美味しかった。
明日からの屋敷の仕事にあたり、なにか必要なものがあるかを聞いておこうと学部棟にあるH先生の研究室に行ったが、会議で不在だった。
「役職が上がっても給料はほとんど変わらないのに、会議が増えてやってられない」
H先生がぼやいていたことを思い出した。大学の教員なんて、なれるものならなってみたいと思っていたが実際は色々と大変なようだ。まあ明日現地で確認すればよいか。私は帰宅した。
帰宅後、私は着替えなどを鞄に詰め込んだ。細々したものは来客用のものがあるから持ってくる必要はないと言われていたので、荷物はたいした量にならなかった。
試験前は連日、夜遅くまで勉強していたので疲れていたのだろう、風呂に入って布団でごろごろしていたらいつの間にか寝入っていた。
六時過ぎに目が覚めた。着替えて、食パンをかじって朝食とした。H先生との約束の時間には早すぎると思ったが、やることもないので屋敷に向かうことにした。
出勤ラッシュの時間帯であるが、夏休み期間ということもあり、乗り込んだ各駅停車の乗客はまばらだった。
屋敷の最寄り駅に着いたが、私以外に降りる乗客はほとんどいない。
橋を渡り、トンネルを抜け、長い坂道を進む。五月に訪れたときよりも木々の緑が多く感じる。住宅地なのであるが、広い緑地公園があるし、広い庭に木を植えている家が多いからかもしれない。
約束の時間よりだいぶ早く到着してしまったので、近くの緑地公園でも散策しようと思っていたが、玄関先で煙草を吸っているH先生がいたので声をかけた。
「早いね」
先生は煙草の火を消して、私を屋敷の中に誘った。
H先生は私を離れの部屋に案内した。昔は使用人が使っていた部屋とのことで、私の生活スペースとして使っていいとのことだった。広くはないが、風呂トイレやキッチン、洗濯機もあるから生活には困らないだろう。荷物を置いた後、仕事内容を先生から聞きつつ、屋敷の案内をしてもらった。茶室があるのには驚いた。H先生の祖父は趣味人だったらしい。
広い屋敷を毎日、完璧に綺麗にするのは骨が折れるだろうが、H先生からは「三、四日かけて全体を綺麗にしていくくらいのペースで構わない」と言われていたので気が楽になった。鍵がかけてある部屋は掃除しなくてよいと言われた。先生の寝室とのことであった。
ひととおりの説明を受けた後、私はH先生から屋敷の鍵を預かった。私は早速掃除を開始することにした。
「九月までよろしくね」
H先生はトランクを持って屋敷から出ていった。そういえば夏休み中、H先生はどこの国で過ごすのだろうか。
屋敷での生活にはすぐ慣れた。六時くらいに起きて、門の周りの掃き掃除をする。屋敷の中は三つの区画に分類して、毎日一つの区画を掃除していった。掃除は午前中には片付いて、あとの仕事は郵便や荷物を受け取ったり、夕方に庭の苔に水を撒くくらいだ。庭師が来る日は屋敷にいないといけないが、それも週に一回だ。
掃除機をかけたり、雑巾がけをするのは、普段運動をしていない私には大変ではあったが、誰にも文句を言われず黙々と作業を進めていけるのは悪くなかった。
午後の時間は本を読んで過ごすことが多かった。H先生に借りた課題の本は全然理解できなかった。毎日少し読んでは挫折……というのを繰り返していた。課題の本を読むのに疲れたときは書斎にある本を読んで過ごした。『ファーブル昆虫記』をじっくり読んで虫の世界に思いを馳せることもあれば、町田康『夫婦茶碗』を読んでパンクな気分を味わうこともあった。
本を読むのに疲れたときは庭を眺めた。苔が美しいと初めて思った。特に、小雨が降った後に晴れ間が差してきたようなときは緑色が一層綺麗に見えた。
この屋敷ではインターネットは使えない。H先生からそのことを聞いても違和感はなかった。確かにこの屋敷にインターネットなんてものは似合わない。そもそもパソコンを持ってきていない私には関係がなかったが。
しかし、H先生はここで本当に生活をしていたのだろうか。屋敷の掃除をしていても生活の痕跡があまり感じられなかった。
暑いのであまり外出はしたくなかったが、食料の買い出しは必要だ。スーパーやコンビニが屋敷の近所にまったくないので、最寄駅の周辺まで行く必要があった。多少涼しくなった夕方、私は買い出しに出かけることが多かった。買い物を手に持って坂道を登るのはなかなか大変だった。
買い出しに出かけるときに屋敷の近所で人を見かけることはほとんどなかった。この辺の人はH先生のように、夏はどこか別の場所に行ってしまうのだろうか。
夕飯は買ってきた弁当や冷凍食品を適当に食べた。シャワーを浴びて、引き続き本を読んで過ごした。部屋の照明が暗かったので、書斎にあった読書灯を持ち出した。布団に寝転がって読書灯の光で本を読んだ。眠くなったら読書灯を消して眠った。
毎日の生活が凪いでいた。気持ちが穏やかだった。
夏休みがもうすぐ終わる頃、H先生が屋敷に帰ってきた。アルバイト代とお土産のチョコレートをいただいた。屋敷での生活は名残惜しかったが、私は早々に屋敷を辞去した。
自宅に帰る道中、街の匂いでもうすぐ夏休みが終わるのだということをなんとなく実感した。
屋敷でのアルバイトは翌年の夏休みも行った。大学四年生の夏になっても私の卒業後の進路は決まっていなかったが、H先生は特になにも言わなかった。
屋敷での暮らしは昨年と変わらなかった。掃除、読書、庭を眺める。たまに買い出しに出かけ、眠くなったら寝る。静謐な生活。
あまり考えたくはなかったが、進路のことは考えないわけにはいかなかった。H先生の指導が私に合ったのか、研究というものが面白いと思うようになってはいたが、大学院に進学することは考えていなかった。研究者という生き方ができる気がしなかったのだ。そうなると就職するしかないが、私はぐずぐずと就職活動を先延ばしにしていた。
大学卒業後しばらくの無職期間を経て、結局私は就職することになった。会社で働きはじめると、目の前の仕事を片づけるのにいっぱいいっぱいになり、余計なことを考える時間がなくなっていった。周りの人と連携して仕事を進めていくことに神経をすり減らした。
疲れているときは近所の公園に散歩に出た。公園に生えている苔を見ると、あの屋敷での生活を思い出した。またあのときのような静かな生活がしたい。そんなことばかりを考えていた。