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35歳過ぎたニートがこの10年で感じたこと

なかさま

 留年して大学を卒業し、就職しないまま生活をして10年が経った。同じくニート達で作った「ニート株式会社」の設立、そして「レンタルニート」の開始からも気づけば10年経っているので、36歳実家暮らしニートのこの10年での体感を記録しておく。というか厚生労働省の定義によればニートは15歳~34歳の無業者のことなので、実際ニートの定義をもう外れる年齢だがまあそれはわかってます。

 25歳でニート株式会社(ニー株)が設立されたとき俺は大学を卒業したばかりで、長期的にやっていたバイトもなければ貯金も全くなかった。しかし当初「ニート達で集まって起業する」という大体的な告知に応募して集まったニー株の初期メンバーたちには変わり者集団なりの勢いがあった。設立当時、167人の正式メンバーが確定した時点でメディアに公表された平均年齢は確か27・9歳。自分自身も今よりもうちょい若かったけど、やはり新しいことを1から始めようとする若者たちのエネルギーがあったように思う。数々の斬新なビジネス案を出し合う中で自分自身もまた刺激を受けた(ほとんどは案だけで実行されずに消えていったが)。そして1時間1000円で遊びに付き合うレンタルニートを思いついて始めた。大して稼げはしないもののその後10年間続けて様々な経験を得るに至ったのである。

 しかしニー株全体の方はその後時間が経過するにつれ熱は失われていった。結局のところ仕組みづくりやルールづくりに時間を使いすぎてしまうことでみんなが飽きていったのだろう。企画を打ち出し実行しようとする人は減っていった。新規メンバーの加入もしていったが、すでにある事業に乗っかってすばやく収益化ができるのならともかく、収入がない状態を長期的に続けられる人というのは少ない。それは金銭面に起因する住環境とか、家庭環境とか、精神衛生面とか、人間関係とかによって。「ニートは才能」とはよく言ったものである。

 ニー株や周辺の様々なニートを10年間見守りつつやってきたが、5年以上とかずっと変わらず完全ニートしているような人は少ない。少なくともたまにだけバイトをするとか、俺のように小規模な事業の稼ぎをわずかに得てニートを自称しながらも多少の収入がある人が多い。そうでなければ障害年金や生活保護でなんとか生活している人。そして実家が太いタイプ(経営者家庭とかのガチなやつ)で、おこづかいや仕送りでなんとかなる人。また不動産とか投資やってるネオニート系の人も実際のところ確かに存在する。「ニート界隈」で長く過ごしていて学んだが世の中は広く、なんらかの理由で働く必要がない人というのもいるらしい。

 とにかくニー株は現在、既存メンバーが何か他の仕事を得てそのまま加入している例も多く、また組織の仕組みも移り変わり法人登記の事情などから「全員がニートで、全員取締役」という当初のキャッチコピーとは完全に離れたものになってしまった。今はコミュニティとして存在するのみである。最初から思ってたけど、組織の内部的な仕組みづくりを「やらなければならないこと」と考えて不備なくやろうとしてもいいことはない。レンタルニートとして周囲の支持者から反応を見ていればわかるが、どんな企画をやりたいか考えて実行に移すことのほうがずっと大事。一般的な社会の秩序なんてニー株には求められてないことはわかっていたのに、人間が大勢集まれば結局一般的な秩序を作ろうとしてしまうのである。10年の中で組織づくりやコミュニティにおいてどんなことが実際に起こりやすいかということを学んだ。

 しかし設立された時代から10年経ったいまも世の中の低賃金・長時間労働に関する問題は変わらず存在していて、それらを打ち砕くチャレンジはずっと社会に求められていると思う。ゆえに「ニート達の起業」や「常識にとらわれない商売」といったテーマは現代においても大いに価値がある。このようなことを今後もやっていきたいのは自分の中で今も変わっていない。

 レンタルニートの活動で得られた経験について。ひとつはとにかく人々には様々な事情があるということ。自分が利用客と喋る内容というのはことごとくプライベートな内容ばかりである。レンタルニートが対応しているのは「利用者の遊びに付き合うこと」のみなので、基本的には利用者の個人的な要望に合わせたことをして遊び、それに付随する話題を話す。平日の昼間から飲みに付き合ったときは「実は今日仕事を休んだが家族にバレないようにするためまだ帰れない」話を聞いたり、よく一緒にゲーセンに行く人から「年齢を重ね友人たちと趣味が合わなくなりゲーセンに行く機会が減ってしまった」話を聞いたりと、レンタルの動機となるような個人的事情が伝わってくる。ほかにも家庭の事情によりずっと実家に帰れず車中泊やホテル暮らし生活している人の話とか。介護離職問題でしばらく働いてなかったがその後、遺産が入ってきた人の話とか。このように知人と気軽に連絡を取って遊びに行ったりしづらい立場の人がいたり、あるいは連絡を取って会うに際して近しい人物じゃないほうが望ましいという需要があったりもする。「遊べる相手がいない人がレンタルニートを利用する」みたいにメディアに報道されたことがあったが、そう簡単な話じゃないのだ。

 ニー株や周囲の人間と関わることで、ニートを取り巻く現実についても理解が深まったと思う。今風にいえば「解像度上がった」ってやつだ。なんだかんだでニートになる人たちというのは変わり者が多く、様々な理由で仕事が続かない人や、他者から信頼されないような言動をしてしまう人や、メンタルが不安定な人がいたりする。そして、それもまた過去の体験とか病気とか、複雑な事情に起因している面があったりする。毒親問題とか、不登校の経験とか。また発達障害とかうつ病をはじめとしたメンタルヘルスの話題はニートと密接な関係がある。大学を卒業した時点ではこれらの病名とか症状とか薬の名前とかの知識はまったくなかったが、周囲のニートたちの中に当事者があまりにも多いのでこれもまた本人たちとの関わりの中で知識がついた(幸いなことに、自分はメンタル系の病院に通院してないし投薬も受けていない)。

 自分自身の変化としてはその他、レンタルニートをやったことで社会に関する知識はついたと思う。様々な仕事や趣味を持っている人と会って喋るし、呼び出しに応じて出かけるので普段乗らない電車の路線に乗っていろんな場所へ行く機会がある。旅行付き添いでは新幹線にも飛行機にも何度も乗ったし、経費支給で自分で宿を予約することも多かったし、地方の名物とか地名もたくさん覚えた。この旅行の話題って特に「当たり障りのない話」をするときに便利。幅広い属性や年代の相手に通用する。ほかにも初対面の利用者と会ったときに出す話題の傾向はだいたい決まってくるので、別に社交性があって人と遊ぶ仕事を始めたわけじゃない俺にもいくらか定番の話のネタはできた。当然だが遊びに関することであり、利用者に必ず聞くのは「ふだん何して遊んでますか?」だ。自分はもともとあまり気を張らないタイプだが、自然体でいるためレンタルニート対応のときは開始当初にも増して気を張っていない。初対面では利用者のほうが緊張していることのほうがほとんどだろう。

 人付き合いという意味での自身の変化は女性関係も。大学は工学部でサークルもオタクが集まる感じの創作系サークルだったので、ダサい男同士ゲームやアニメの話ばっかりしていた。当初レンタル利用例で「遊戯王で対戦できます」「ガンプラ一緒に作れます」みたいなことばかり推していたが、そればっかりしてきたからである(今でもしてるけど)。学生時代に女子との関わりはほとんどなかった。レンタルニート利用者やニー株の女性メンバーと関わるようになったことで女性との接し方を知ったといえる。自分にできるのは「長い時間一緒にいてあげる」ことぐらいだったので、それ以外の方法で女性と仲良くなった試しがない。しかしそれこそが一番大事であるとも思う。メンヘラ彼女に振り回される経験も積んだ。深夜に長電話に付き合ったり、終電間際に寂しいからと呼び出されてわざわざ電車で家に会いに行ったりと自分本意なワガママによく付き合ったわけだが、いつも「時間のある俺がいてよかったなぁ」と要望に応じていい気になってしまうのであった。なおその後、包丁を向けられたり、ストーカーだったことにされて警察に通報されたエピソードなどもあるが、メンヘラにはよくあることらしいので今のうちに体験できてよかったということにしておこう。もう簡単なことでは怯まない。俺は女に耐性がついたのだ。

 30代後半になってきたが、まだ体力の変化はそこまで強く感じてはいない。外に出る用がない日もなるべく懸垂をしに公園に行ったり、自転車で出かけたりを心がけているおかげか。「徹夜ができなくなる」って話よくあるけど、俺は20代の頃から眠いときは寝るし無茶はしないのでもともと徹夜なんかあまりしていない。長距離歩いたり富士山に登ったりしたのもむしろ30代になってから。しかし、中学高校でやってた短距離走はもうダメだと思う。15年ぶりの市民陸上大会で昔の感覚で走ろうとしたら足を痛めて棄権したことがあった。健康のため運動や外に出ることは大事。動画生放送しながら外に出かける習慣はこれからも続けていこう。

 ちょっとよくないなと感じているのは何かをやるのに腰が重くなってしまっていること。年齢を重ねると(普通は)良くも悪くも大人になり、落ち着きが出てしまう。安定を好み冒険しなくなる。あれこれ「やらない理由」を作り出してしまって無難な同じことの繰り返しになりがち。これは周囲の人間たちも軒並みそうであると見て取れる。いい大人の振る舞いをしようとするために最低限のハードルが上がるのだ。「若さが強み」であるという正体がわかった。つまり自分だけじゃなく周囲の人間たちもまた年を取るので、無茶な行為やみっともない愚かな行為をしなくなっていく。こうして自分も周りの人間も普段受ける刺激が減り、感性が鈍ってワンパターンになってしまうのだろう。もっと無茶をする愚かな人間たちと接することによって常に強い刺激を受ける必要がある。愚かな人との出会い待ってます。

 10年も経てば社会もまた変化する。10年前はYouTubeやTwitterはあったが、自分はまだニュース系まとめサイトで日々のWebニュースを見ていた。スマホも普及してはいたが今ほど当然ではなかっただろう。レンタルニートが広まったきっかけになったときのTwitter投稿は、公式の画像添付が1枚やっと可能になったぐらいの時期だった気がする。ニー株設立当時、「ニート株式会社で出社義務のない仕事を作れば、家に引きこもっている俺でも仕事ができるかもしれない」みたいな意見が事前の参加コメントにあったが、現代ではまさにリモートワークは当たり前になっている(当時もあるにはあっただろうが)。コロナ禍でビデオ通話ツールとかも一般的になった。ニー株設立の準備はSkype通話とか、Ustreamの動画配信とかで連絡事項を伝えていたのを覚えている。その他現代では文章や動画、イラストなど個人レベルでの収益をあげるための仕組みがより確立されてきた。コンテンツは飽和しているが、活動発信や収益化の環境自体はより整備されてきている。

 いつも主張したいことなのだが、こうして世の中は便利になってきているはずなのに人間の暮らしは一向に楽にならないのはなぜなのか。機械の進歩によって以前とは比べ物にならないスピードで業務が遂行されているはずなのに。機械工学科出身としては、仕事は機械に任せて人間は楽をするべきであると思う。

 そして、35歳過ぎたニートがこの先どうやって生き残るか問題。自分としてはこの本文に書いたような体験から何か専門性を見出し、今後の仕事に生かしていきたいとはずっと考えている。実際のところ「ニートに関する専門性」は多く得てきた。このニートマガジンのようにそれらの知識や体験を共有する試みは大いに役に立つだろう。とにかく我々30代以降のニートは意識的・継続的に生活に変化をつけることを心がけなければ何もせず時間経過を待ってしまうパターンに陥りがちだ。ひとり用ゲームをひとりでやって無駄にする時間を我々はもう充分に過ごしてきた。どうせ時間を無駄にするのであれば誰かと一緒に時間を過ごして無駄にしたほうがよい。そのほうがいずれ時をおいて話のネタにはなるだろう。なんか後ろ向きになっちゃったが、10年で自分なりに成長はしたし、特殊な経験と教訓を得たよという形で締めくくっておく。ニート達で集まることに意味は、あります。