虚無ニートと生存戦略
レモン
生きているのはつらい。すごくつらい。ニートである私は「お前はダメな奴だ」という呪いに未だ縛られている。
尊敬する人物は? と聞かれたことがある。たいてい父母祖父母、部活や職場の先輩を挙げる人をよく見た。私にとっては、誰だろう。誰を見ても、よくそこまで頑張れるな……と思った経験しかない。
人生を楽しめる人がいるとするなら、
- 誰かと行動することが楽しい
- 旅行やキャンプなど、馴染みのない場所で過ごすのが楽しい
- 職場だけではなく、どこでも友人を作れる
- 仕事をゲーム感覚で行える などの感覚を持つ人だろう。
間違っても、ミスで落ち込んだり、叱られても自己否定をするような行動を取っていては、人生はしんどいものになるばかりである。
働くこと、仕事によって相手を評価し過ぎることをやめた方が、生きやすくなると思う。これは持論だが、マイナスな気持ちで始めたことは良い結果になりにくい。
「生きるために仕方なく」「家族を支えるために仕方なく」「お金がないと不安だから」働くのは、マイナスな動機であり、仕事そのものに対して意欲を持つのが難しくなる。
働くのが嫌な理由は、休日が少ない(自由が少ない)から、格差を感じて辛くなるからだ。
単に休日が多く欲しければ、アルバイトから始めたらいい、と意見されそうだ。それはある意味正しいけれど、代わりに良い待遇や福利厚生、人間的扱いを得られない可能性が高い。
正社員こそ良いステータスであり、安定した収入を得続けられる、という神話が広く信じられている。
働くことをゲームに例えてみよう。格闘ゲームやスプラトゥーンのような、プレイヤーの技術でランキングが決まるゲームだと仮定する。
実力があり、平均より強いプレイヤーはゲームを楽しめるだろう。より強い相手と戦いたくなるし、より技術を磨きたいというモチベーションも高まる。一方、全く勝てずに負け続けるプレイヤーはゲームを楽しめない。それを自覚したプレイヤーはゲームを止めればいい。もっと楽しめるものを探すべきだ。しかし、これがゲームではなく生きるための仕事だと、止める=死に近づく、ことになってしまう。
そのセーフティネットとして生活保護があるが、それを受けることが難しい場合もある。生活保護を受けられず、何の支援も受けられなかった人は、税金や家賃、生活費のために働き続けなければならない。
ニートや無職が世間から見下されることは、社会の維持に必要だとは思う。仕事が上手くいかず、人間関係もダメでも働き続けた理由は、お金がないと生きていけないという思い込みや、社会的に落ちぶれたくないという思いがあったからだ。この価値観はより多くの人を労働に従事させるために一定の効力を持っている。
憲法や法律、一般的な価値観など今の世の中で広く信じられている共通認識は重要なものだ。国を発展させ経済を回していくことで、多くの人が衣食住を確保し自尊心を保ちながら生きている。
結婚して家族を持つこと、より信用のある社会的地位でいること、後輩や年下を指導すること。これらのことは突き詰めれば国の発展のためにある。人口を増やし、労働力を確保し、少しでも多くの税金を得る。いわば「富国強兵」だ。親戚が集まって仲良くゲームをしたり子どもが生まれて保険について考えたり、CMですらその価値観を後押ししている。ゆるふわお花畑版富国強兵映像だ。
社会の価値観は、第一に国に都合が良いようにできている。だから、幸せになりたい個人が疑問を抱くのも無理はない。現に精神を病んで働けなくなる人も、過酷な労働環境の末に自殺してしまう人もいる。
「役立たずは死ね」。これが、私が長年縛られ苦しめられてきた価値観である。役立たずにならないように勉強をし就職をした。そこで業績を上手く上げられず退職するに至った。
次の業種へ転職したが、3か月でクビになった。絵に描いたような役立たずである。死のうと思ったが、メンタルが弱すぎて自殺未遂すらできなかった。
しかし心理カウンセリング系のサイトには繰り返し「生きているだけでいいんだよ」という言葉が出てくる。業績を上げないものは死ねという圧力をかけてきた会社とは大違いだ。この「役立たずは死ね」と「生きているだけでいい」の温度差に慣れない人もいるだろう。
「役立たずは死ね」は資本主義社会が、「生きているだけでいい」は家族や友達といったコミュニティが果たしてきた役割だと考えている。前者は発展し続けなければ維持できない資本主義システムのため、お金は命より重くなる。後者は生きる支えや人情を育むためのものだ。冠婚葬祭や交際にお金を惜しまず使い、学費などの高額な援助も行う。お金は命より軽い。
私は、家族や友達といったコミュニティが崩壊してきたことが「生きているだけでいい」価値観より「役立たずは死ね」価値観を重視する今に繋がっていると考える。
「生きているだけでいい」コミュニティ自体、資本主義の中で働く原動力だった。友達と遊んだり家族を養うことを動機として、殺伐とした資本主義を生き抜くことができた。しかしそのバランスは崩れつつある。ネットやSNSが普及し、「より良い」友達やパートナー、「推し」という庇護対象を見つけられるようになった。不倫は手軽になり、友達は無限大に作れることでひとりにコストをかける必要性も余裕もなくなった。可愛い我が子より「推し」を応援するほうがコスパが良くなった。
こうした流れは止められない。そこで、ニートの生存戦略として「愛嬌のある人になること」をお勧めしたい。
狼と犬の生存戦略が参考になる。遠い昔、狼の一部が人間の食糧を分けてもらったことがきっかけで、人に懐く犬へと進化したらしい。犬の候補となった狼たちは、群れの中で狩が下手な落ちこぼれだった。食べていくために「愛嬌」を身に付けたのである。
仕事(狩り)が苦手で嫌い、上手くいかなかったという点で、ニートは犬に似ている。つまり、愛嬌、愛される人になることを目指せば良いのだ。
動画配信、SNSなど、愛されるきっかけとなるツールを使っても良いし、どこかのコミュニティに属して仲良くするのでも良い。経済的に得られるメリットを人情でカバーするのだ。身の回りにいる人と積極的にコミュニケーションを取るのもその1つである。
社畜になることのない、心理的にも時間的にも余裕のあるニートの行動が「役立たずは死ね」価値観を薄め、1人でも多くの幸せに繋がることを願っている。