サラリーマンから「だめ連」へ
神長恒一
『ニートマガジン』読者のみなさん、はじめまして、こんにちは。だめ連の神長恒一といいます。どうぞ、よろしくです。
今年で58歳になります。大学卒業後、就職した会社を10ケ月で引退。その後は「もう就職しまい」と決め、以降この歳までフリーター、無職などで暮らしてきました。
就職したのが、91年。東武百貨店という当時としては画期的に休みの多い会社(隔週休3日制、つまり月に10日休める)に就職しました。しかし、10ケ月しか続かなかった。
なぜ辞めたのか? その理由はたくさんありますが、一言で言えば、サラリーマンの暮らしがつまらなかったからです。就職してみて数ヶ月すると会社員の生活というものがだんだんわかってきます。それは文化的にも退屈でなんの面白味も感じることができないものでした。
ぼくは服を売っていたのですが、そもそも服なんてみんな充分持っている、それを無理に購買意欲をあおって買い物させる。無駄にものを売るなんて資源の無駄で環境を破壊しているだろう、どうせ第三世界から搾取とかしてんだろう、当時ぼくはまったくのノンポリ、かなり意識低い系の人間だったのですが、そんなふうにも感じてました。
嫌気がさしたのは仕事だけではありませんでした。それまでぼくは社会のレールに沿って生きていました。受験勉強してなるべく偏差値の高い大学に入って、なるべく条件のいい会社に入る。資本主義社会がその都度提示する商品や娯楽を消費して楽しむ。そうやって今の社会が良しとするような生活をしてきてた。みんながそうしてるから、きっとそれがいい生き方なんだろう、そう思っていたし、それ以外の生き方も思い浮かばなかった。しかしそんな生活を20数年間続けてきて、就職して働いてみて、そういう生き方はつまらないし良くないと思った。人生こんなもんじゃないはずだ、もっと面白いことがいろいろあるはずだ。世界はもっと奥深いはずだ。たった一度の人生、そういうことをほとんど知らずに死んでいくのはもったいなさすぎる。自分は企業の売り上げに貢献するために生まれてきたんじゃない、自分はもっと自由に生きるぞ、そう思い会社をというだけでなく、この退屈で悪いかんじのする資本主義の社会から一歩降りて、やりたいように生きていくことにしたのです。
会社を辞めたとき、働いていた10ケ月で100万円貯まっていました。四畳半一間、風呂なし、トイレ共同の家賃2万4000円のアパートに住んでいて、お金もあんまりつかわない生活をしていたので、安い給料でしたがそれだけ貯まっていました。それで10ケ月働いて精神的にも疲れたので、一年間無職生活を送りました。
夢の無職生活! 最初はアパートのすぐ近くの図書館に散歩に行き、ソバを食って本を借りて好きな読書ばかりしてました。けれど、さすがに本ばっかり読んでいても退屈してきます。人と会って遊びたくなる。しかし友達の同級生のほとんどは働いていて、おれと遊んでる場合じゃない。そこで思い出したのが、大学のクラスメートでまだ留年して学生をやってるぺぺ長谷川でした。
彼が大学の近くの沖縄食堂という店で毎週月曜の夜、一人でバイトしていて、そこに彼の友達なんかが飲みにきていることを知っていたので、そこに遊びにいくようになったのです。彼は90年代の当時としても珍しく大学で学生運動をしていて(「ノンセクト・ラジカル」というグループ)、遊びにいくうちにその仲間たちと知り合っていったのですが、その人たちがずばぬけて面白い人たちばかりで、気がつくと大学を卒業しているぼくも学生運動に参加するようになっていました(笑)。学生でもないのに学費値上げ反対運動やさまざまな運動に参加して、日々大学のノンセクト・ラジカルの部室に通うようになりました。
そのへんからは、人生爆発‼ 学生運動の仲間に音楽をやってる人も多かったので、気づくと楽器も弾けないのにギターを適当にかきならして思いつくままに歌を作って歌ったり、即興演奏のバンドを作ってライブしたり。
またぺぺや学生運動の仲間をつうじて学外の社会運動の集会やデモにもひんぱんに行くようになりました。そこで知り合う人々も濃いキャラクターの味わい深い人たちばかり、日々さまざまな魅力的な人たちと交流する日々が始まったのです。社会運動というものに出会ったのは大きかったです。世の中でお客さんとして生きるのではなく、そこで社会はいくらでも変えうるものだと主体的に生きていくよろこびを知ったのです。ぼくにとって運動というものは肯定的なもの、基本的にはたのしいものです。
それと、ぼくもぺぺもノリはお笑い系の人間で一日中ギャグばっかりとばしていて、爆笑爆笑の日々でした。運動も表現も交流もやたらと楽しかった。
その頃、ぺぺたちと遊んだりトークするなかで、ダメ問題というものを語るようになっていきました。ぼくがそのころよく言っていたのは、人はなぜ就職したりある程度の暮らしをしようとするのかというと、人からダメな奴だとの烙印を押されるのが嫌だからなんじゃないか、ということです。このダメと思われたくないプレッシャーが人々の人生をつまらないものにしているんじゃないか、と。その頃いろんな人の本を読んだりしていましたが、そんな身も蓋もないようなことを言ってる人はいませんでした(笑)。またぺぺは、自分がダメ人間であることを受け入れつつ、ダメをこじらせないようにいろいろ作戦を練るのがいいんじゃないかと言っていました。
またその頃いろんな学外の市民運動のデモに毎週のように参加していたのですが、その頃はだいたいぼくらは学生の隊列に加わっていたのですが、自分は学生じゃないしぺぺも大学6年生ということでちょっとしっくりこないところもありました。かといって市民の隊列も、まじめなかんじで少しあわない。
そんなこんなで気がつくと、ぼくとぺぺは「だめ連」という極めて異色のナゾの社会運動とも生き方ともつかぬ活動をはじめることになったのです。
テーマは「人生全般。人生の諸問題に取り組む」。「ハクをつける」「うだつをあげる」などのだめプレッシャーを問題にするように、さまざまな問題を個人の能力のせいにするのではなく、なるべく社会のせいにする。資本主義的な生き方じゃないオルタナティブな生き方を自由に模索することで新しい社会を作っていく。具体的な活動は、トーク・交流・イベント・諸活動路線、というかんじでした。
なるべく働かないということも言っていった。このへんは今につながるあんまり働かない系のいろんな動きの言い出しっぺだったと思います。60年代の後半にはヒッピー・ムーブメントなどがありましたが、90年代の初めのその頃は、労働の拒否やオルタナティブ・ライフみたいなことを主張している人は日本ではほかに見当たりませんでした。人生をテーマにしたアナキズム系の運動もなかった。
そんなかんじで「だめ連」の運動が、92年にはじまるのですが、そのあとのことに興味がある方は、去年出した本『だめ連の資本主義よりたのしく生きる』を読んでいただければ幸いです。この本はだめ連30年の活動、交流のなかからえた資本主義後のよりよい世界、生き方のイメージが、わいてくるような本にしたつもりです(ポスト資本主義アナキズム!)。それと今、25年前に出した『だめ連の働かなくて生きるには?!』という本を、現代版に『だめ連の働かないでレボリューション!』とパワーアップして文庫本で出す予定で制作中ですので、どうぞ楽しみにしていてください。
今、資本主義の世の中は世界中で完全に行き詰ってきています。自分たちの金儲けばかり考えてる富裕層の人たちが幅を利かせまくって格差が拡大して、庶民は生存も危ぶまれている。そして金儲け中心の価値観のなかで人心も荒廃して弱い者いじめが横行している。多くの人々が希望やよろこびを失って生きている。
地球温暖化も重大な問題です。世界は大きく変わるときにきている。大量生産大量消費の経済成長路線を見直さなくてはいけない。あんまり働かず消費もそんなにしない暮らしをするというのは、従来の社会に対してもっと違った人間らしい心ある人生を生きたいというムーブメントだと思います。実は今、世界中で資本主義に対して抵抗してオルタナティブな生き方をはじめている人たちがたくさんいます。ぼくは30年以上交流生活を続けていますが、日本でもそういう人たちが増えてきているのをかんじています。
日々、愛のある交流を生きていきましょう。